起業前24話:再びアメリカ!

久しぶりに母親の味にひたり、言葉の通じるありがたみを実感しながらも、私の中では焦燥感が拡がっていた。日本でも私一人が、世間の人と違う時間の帯中に生きているようだ。

ふとテレビに目をやると東南アジアの女性達がヤクザに売春させられているというニュースだった。世界には環境や国、または経済的な事情などによって自分のやりたいことを選択できる権利すらない人の方が多いのかもしれない。

私は幸運にもそれを選択できる側の人、として生まれた。自分の意志を貫く、ぐらいは最低でもしよう、それがこちら側に生まれた者の最低の義務だと自身に言い聞かせ、再びアメリカ行きの航空券を手にした。

アメリカが近くになるにつれて、どこからともなくもう一度頑張るぞ、という前向きな気持ちが自然と湧き出てきた。飛行機の中から、アメリカ大陸が雲の間からかいま見えたとき、不思議と不安よりも嬉しさの方が大きくなっていた。考えてみれば、どちらの国に「帰る」のでも私は嬉しいようだ。

 こうして私は再びクラスに復帰した。Don’t be shy 男にオーヤマトナデシコと勘違い男子も、私のお菓子とポテトを勝手に食べてしまうアフリカ系女子も、いちいちストレスに感じていた人たちまで、懐かしく再会が嬉しかった。

しかし、まもなくしてみんなとお別れの時期がきた。私が通う語学スクールでも進路を決めなければならない時期になったからだ。横顔が美しいブラジル人のクラスメイトはジョージワシントン大学に、中国人のチン氏は両親の営むチャイニーズレストランの跡継ぎに、それぞれ仲良くなったクラスメイト達は大学が決まり、語学学校から去っていった。  

一方私は完全に取り残され、どこの大学にも入れなかった。自分の語学力や日本での成績を考えると、当たり前の結果である。驚きもない。

なので、私はだれでも入れるというコミュニティカレッジにとりあえず入った。大丈夫、4年生の大学に編入するのはそう難しくないはずだ。ここで、必ず、オールAをとろうと決意した。

また「ナポレオンプロジェクト」のようにすぐに挫折しては意味がない。日本でビリだった私には、障害はあまりにも高い。しかし私は、英語ができなくても良い成績をとる秘策の数々を思いついた。それは本当にものすごい成果をあげたので、今後、一つ一つ紹介していこうと思う。

●わかな語録:「自分の意志を貫く」ぐらいは最低でもしよう

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