コロナ禍で最も苦しかったことのひとつ。
スタッフに途中から給料が払えなくなったこと。
2020年、資金がショートしそうになった時、
スタッフ全員にシフトを半分にし(つまり給与も半分)
私は皆に伝えた。
「みんなと一緒に仕事していきたかったけど
コロナで売上が95%も激減した今、大幅な経費カットを
しなければなりません。
この給料で生活できない人は、
他の仕事を探すことも視野に入れて行動してください」
と泣きそうになりながら宣言した。
この時、カンボジア人スタッフの誰一人として
去る人はいなかった。
むしろそこからカンボジア人スタッフは
一致団結して仕事しているような気さえする。
なんか誰かが困った時のカンボジア人の反応は
笑顔でなんとか助けてくれようとする人が多い。
しかし、私の会社は、取引先の支払いも滞る始末。
結局は、一人も去らずにいてくれたスタッフを
裏切るような気持ちで、一人づつ話をして、
退職していってもらった。
そしてその1年後、本当に、もうダメだ、
と撤退を決めた後に、救世主に出会った。
(この時の奇跡の話はこちらで)
救世主は言った。
「人数が多すぎる。3人で十分です」
は?さ、さすがにそれは無理です、と私。
イオンモールは年中無休で
朝9:00〜夜22:00までですから2シフト。
更にコロナで売れなくなったといえど
店には4人、ファクトリーは最低3人
合計7名は必要かと。
しかし、救世主は3人で十分だと言う。
「見てごらん、まだサボってる時間あるから」
とWebカメラをマメにCKしている救世主。
「毎日、店に行って何見てたんですか?」
とイヤなことを言う救世主。
しかし、サボっている現場を見た私は
人員削減を決意する。
結果、3人のカンボジア人スタッフだけになった。
そこには、色んなドラマがあった。
必ず戻ってくると約束して去ったスタッフ。
人間的には大好きだったけど、組織にはマイナスにしか
ならなかったスタッフもいた。
サボるんだけど、憎めないスタッフも。
こんな時の判断はツライ。
私は本当に経営者には向いてない、、、。
なんで経営者やっているんだろう、、、。
そんな狭間で、時は過ぎてゆく。
お店はイオンモール(Phnom Penh)にある本店と
国際空港(Sihanoukville)にある支店(こちらは一時閉鎖中)
そしてお菓子ファクトリー。
これを3人が回してきた1年。
今回、久しぶりにカンボジア入りできて、みんなと再会して
驚いたのは、この3人が大人っぽくなっていたこと。
そして3人の絆がとても深くなっていたこと。
そして、一人一人と個人面談をして
「2022年7月から、あなたが店長になる」
と伝えた。
一人はアンコールワットのあるシェムリアップへ引越。
一人は、市内からプノンペン空港へ引越。
一人は、市街からプノンペン市内へ引越。
全員が引越だ。
でも、全員とも本当に嬉しそうだった。
一つの店で、辛い時期を乗り越えた3人が
7月に2店舗同時オープンに向けて3店舗が稼働する。
今度は全員がそれぞれの店で「店長」になる。
スタッフを雇い入れることから始まり
結構な権限委譲をしていった。
救世主のたくさんの指示に対しても
「はい、やってみます」と答える3人。
なんとも、頼もしくなったー。
そしてコロナで、みんな一回り強くなった。
7月25日のオープンまで、あと40日。
- 契約書関係から様々な書類準備
- 新店舗設計と什器づくり
- 工事の準備
- 店舗デザイン
- ディスプレイイメージ
- 新商品の商品開発
- 商品構成づくり
- 新POS導入
- 新スタッフ採用
- 店舗スタッフ研修
- お菓子スタッフ研修
- プロモーション
などなど、あげたらキリがない。
全員で分業しないと終わらない。
私の中にいる「てんてこ舞い子ちゃん」が
舞台袖で、ウズウズし始めている。
ヤバい、ヤバい。
2店舗同時出店まで後何日だ?
多分、40日くらい。
もう、数も数える余裕もない、、、。
まぁ、100%オープンではなく
50%でもオープンできれば、、。
と、カンボジアあるある思考で
乗り切るつもり。
なんとかなるさ、と
自分に言い聞かせる。
頑張れ、私。
↑友人から学んだ好きな言葉。