ブログ1日め「コロナ禍で売上95%減少、ライフワークを失い廃人してました」

クリスマスに立ち直るきっかけとして、ブログをはじめます。本当は天然キャラですが、初回だけはシリアスに、やはり廃人時期のことから書いていこうと思います。コロナ禍で起こったことの数々を整理をしつつ。

発展途上国(カンボジア)に住み、お店3店舗と、お菓子ファクトリーを運営してきた私ですが、10年前に社会に貢献する事業を夢描いて、小さな一歩を踏み出したのが始まりです。

もともとは「途上国女性の自立」というミッションから始まった大切なライフワーク、一人でもいい、困っている女性が自立できたらという思いで、大切にライフワークを育てていきました。

1ドル稼ぐのが大変な国、カンボジア。一日1ドルで生活する人もいます。そんな国に移り住み手痛い失敗をしながらも、7年目のコロナ直前、 売上は1億5千万円を超え、成長は加速していく勢いでした。

急成長から一転、売上95%減少、追い詰められ撤退を決意

しかし、2020年2月にコロナで売上が95%激減、2021年2月に父のような存在だった経営の恩師を亡くし、あらゆる手を打つも想定外の出来事が続き、追い詰められていきました。

このコロナで売上が95%減少、1年は赤字をカバーしながら踏ん張るものの、2月の私の誕生日にカンボジアでクラスター発生。そこから想定外のことが続出し、一時帰国した日本で、撤退せざるを得ないだろうとの結論に至りました。

本当にすべての情熱をカンボジアの活動にかけた10年でした。自分の夢を、ライフワークを失うのだと、胸の奥が痛み、そして廃人の如く、、な状況に落ちていきました。

何とか気を取り直して、誰かに事業譲渡できないかなどの話が出る中、母が倒れて緊急入院、心臓の大手術をし一進一退を集中治療室で繰り返し、家に戻っては何時間も一人、泣いていました。泣いていると様々なことを思い出します。幼いときに抱きしめてくれた母、ご飯を作ってくれた母、一緒に笑って、、何とも言えない思いが込み上げて

「これからは、日本で母の介護をしていこう」と心の中で決意を固めていました。

そんな中、カンボジアでプロジェクトをご一緒した方と話す機会があり、撤退する旨を伝えると、撤退してはいけないと。手伝ってくれるかわからないけどと、凄腕プロを紹介してくれました。

そのある方は、私の提出した資料を全て見て絶対に復活できる。今、人件費の高いスタッフをきり、我々がタスクを引き取れば、必ず復活だけでなく成功する、絶対に二束三文でこの事業を人に手渡してはいけない、温井さんがやるべきだと。

この上なくありがたい言葉でしたが、私は、経営者なのに情熱も枯れてしまっていて、

「問題は、経営者の私に情熱が残っていないことです」と、口にしてはいけないだろうことを言ってしまいました。

最愛の母の旅立ち、その時に聞こえた母からのメッセージ

その二日後の明け方、病院から電話がかかってきて急ぎ病院に向かいました。病室に着くと、母の意識はもうなくて、でもまだ生きていて、心拍の機械音だけが聞こえていました。

朝焼けの窓の向こうで、強い風が吹いて雲が竜巻きのようになったのを病室から見て、兄と2人でどちらからともなくお迎えがきたんだねと。そして母は、静かに旅立っていきました。

その瞬間に兄と揃って母を見送れた奇跡に心から感謝しました。とても穏やかな気持ちでした。苦しくて不自由な肉体から母が離れることができて、本当に良かったと思えました。

母が旅立った日、その凄腕プロから「もう一度、事業に賭けてみないか」というメールが届いたのと、人員整理を伝えてないのに、スタッフから辞職願が届いて、、

「私の介護などしないで、自分の道を生きなさい」

そんなメッセージを母からもらったように思いました。海外で仕事する者にとって、親を見送ることはできないだろうと思っていましたが、カンボジアに戻る飛行機がキャンセルになり、母が倒れた時、私がそばにいて救急車を呼べたことから始まり、ここでは書ききれない不思議な体験をいくつもしました。

新しい出会いから、奇跡が生まれた

結果としては、凄腕プロとの出会いからまるでマジックのように状況は一変、翌月から出血が止まり、カンボジア撤退はしなくて良い状況になりました。新しいチームにより、見える世界が変わったかのようです。

2月に恩師を亡くし、撤退の決意、最愛の母の死、と続きましたが、悲しい出来事から気づくこと、学ぶこと、悟ることがたくさんありました。

初めての母のいない年越しをして、今、生きるとは何か、を改めて考えさせられています。

見えない力によって「自分は生かされている」

そして、事業が継続できることについては、見えない力が働いて「自分は生かされている」のだと実感しています。

一つ思うことは、仮にライフワークや使命と思えることをなくしても、次の道があるということ。だから失うことを恐れず、精一杯前に進んでいけば良いと。

ストーリーの力に助けられ、ありふれた日常の大切さに気づく

色んなことが一度に来て、廃人のようになり何もできなくなった時、一人でひたすら本を読んでいました。本のストーリーに引き込cている時だけ「現実を忘れる」ことができた。経営者仲間の新しいビジネスや儲け話にも興味がなくなり、何にもやる気が起きず、、、、そんな時、ある「気づき」がありました。

とてもささやかなことです。空や雲をゆっくり眺める時間をとることの大切さとか。どうやっても歩かなかった15歳の愛犬、ある日、歩くまで待ってみようと一時間近く見守り待ってみたら、愛犬が一歩を踏み出し歩けるようになったとか、、そんなことに励まされたり。

日常の中には、こんなにささやかな大切なことがあったんだなと。生産効率、激務の中にいたら、見えないものだらけだったなと。

長くなりましたが、私の経験や考え、情報をシェアすることで、だれかの心に響いて、だれかの悲しみが減るといいな。一歩踏み出す勇気になったらいいな、そんな思いで「人生のヒント」スタートします。

そしてもう一つ、老後を考えてブログで「年金分を稼ぐ」に挑戦、というよりは「実験」をしてみたいと思います。ガリガリがめつくやるのではなく、ちょっとした人生のヒントとお気に入りをシェアしていくだけで、年金分を稼げるのかを実験していきます。

未来の夢をまた描けたら、その時に・・・

そして、いつか、誰かが悲しみのどん底にいる時に、私が書いたストーリーで悲しみを忘れることができる人がいたらいいな。(今、とある長編ストーリーを執筆中)

今の奇跡的に残った事業と、このストーリーがどんな化学反応を起こすのか、そんな日がくることを夢見て、また以前のように一歩ずつ進んでいこうと思います。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

あなたの1日が素晴らしい感謝に満ちたものでありますように。

この記事が気に入ったらシェアしてね
Facebook
Twitter
LinkedIn

「ブログ1日め「コロナ禍で売上95%減少、ライフワークを失い廃人してました」」への5件のフィ