希望がみえたのもつかの間、私は日本行きの飛行機の中にいた。ナポレオンプロジェクトは、たったの数週間での挫折。3時間しか寝ないという無理な習慣を植えようとしても無理だった。無性に帰国したかった。
華々しくお別れ会をしてもらい、数年後に私は卒業証書を手に帰国するはずだった。成田空港まで会社を休んできてくれた別れ際に泣いてくれた友達、「がんばってきて。」と励ましてくれたお世話になった人達の顔が浮かぶ。絶対に彼らには連絡できない。
何より家族にはもっと顔向けができない。しかし、私は日本に帰れるのが、とても嬉しかった。
出発の当日は、今度は祖母が「和佳奈がそんなに遠くへいくのなら、あたしが生きている間にはもう、会えないだろうねぇ。」と言って泣いてくれた。空港で、一度は結婚を約束した彼と最後の別れをする時も、私は最初で最後の彼の涙を見た。
私の悪友は、会社であちらこちらに散らばった友人たちから、私宛の激励の手紙をFaxでかき集めて何枚も持ってきてくれた。(その日は会社でほとんど仕事をせずに電話かけとFaxの間で忙しくしていたそうだ。)その中には、学生時代の仲間や、好きあっていたのにすれ違いで付き合えなかったK君のメッセージもあった。それを一枚めくっては泣き、もう何がなんだがわからなかったが、泣いてばかりだった。
色々な人たちとの別れに、ひとつひとつのドラマがあった。そこまでは素晴らしい感動のある脚本だった。海を渡った遠い所に行くから、次はいつ会えるかわからないから、だからドラマチックだったのだ。
まさか一ヶ月で挫折、帰国するとは、、、。別れのドラマが感動的であったほどパロディになってしまう。数週間後に会えることを知っていたら、誰がこんなに涙を流そうか。
日本では、毎日ひっそりと過ごした。友人にや親戚含めて誰にも、帰国していることを知らせなかった。今、私が日本にいることを知っているのは、家族だけである。
このまま、日本にいられたら…。私にはアメリカに戻らなければいけないという義務はない。しかし、このままではいけない。むなしく日だけが過ぎていく。
●わかな語録:ダメなら、一度リセットしよう。