起業前37:国連も世銀も入れずに帰国、血迷って●●の会社へ入社

国連や世界銀行で途上国の仕事がしたくて
「ボストン就職フォーラム」に参加した私は
そこで本当に驚いた。
私のように4年生になってから活動している人はいない。
早い人は1年生の時から、面談など頻繁にしていて様々なやりとりをしているという。さらに国連は3年の職務経験と3ヶ国語が話せないとダメだという。
目先の試験対策ばかりで、全く他の活動ができていなかった私は敗北感を味わった。

私は気を取り直し卒業旅行として、なけなしのお金で遊びに行ったパリの街に魅せられてしまった。
ここで語学留学すると家に国際電話をしたら、両親が発狂しそうになったので、仕方なく帰国することに。

帰国した私は何を血迷ったのか、経営の傾きかけた、それもあれだけ嫌っていた父の会社に入社してしまう。
そこで私が見た光景は潰れる会社の前兆現象だった。

父と私が出社すると、誰も会社にきていない。
始業時間に庶務の女性以外、全員遅刻。
遅刻してきて給料が安いと文句言っている。

材料の横流し。
幹部と連絡が取れない。
オフィスの掃除を誰もやらない。

私は父のことは嫌いだったが、胸が痛んだ。

社長の父は、資金繰りから
羽振りがよかった時代の名残の付き合いや
なんだかんだで外出していることが多かった。

私は父の会社の人たちが、見積もりや経理の計算を全て手書きでやっているのを見て、パソコンを導入してエクセルでやれるようにしたところだけは貢献したと思っているが、それよりも、やらかした方が多かった。

何より父が上司となると、ストレスのたまり方が半端ない。
家族経営でうまくいっている企業もあると思うが
私はダメだ。半年後、退職願を出した。

なぜ、父の会社に入社したのか、未だ謎である。。

そして、起業するつもりが全くなかった私は、
次は外資系企業の役員秘書となった。
まぁ、これも全く向いておらず、3ヶ月でやめた。

一体、私はアメリカの大学を卒業して何をやっているんだろう?
そんな時、証券会社時代のお客さんから電話をもらい、これまでの話をすると、

「温井さんは自分でやるべきだよと。自分が代表になって事業をやったら?」

夢にも思わなかったことだった。
でも、、、なんだかとてもワクワクした。

●わかな語録:常に数年後のイメージをして準備をする

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