出店寸前にもつれる人間関係「全て辞めてやる!」その6

なぜ私が諸悪の根源?
私の担当したタスクは終わっていた。
出店工事には立ち合えず、商品納入にも立ち会えないのは悪かったが、そこは救世主が担当すると言っていた部分である。スタッフもいたはずだ。

なぜそこまで怒っているのか聞くと、さらに怒鳴り散らされた。

頭が痛すぎて、その後のことは記憶が朧げだ。
とにかく怒鳴り散らされ、電話は切れた。



救世主のダミ声が頭の中でこだましている。頭がひどく痛い。咳込みながら、意識朦朧とする頭で考えた。

ムカつくを超えて、今のは何だったんだろう?
このやるせない感覚はなんだっけ?

高熱にうなされつつも昔のシーンが蘇ってきた。

セーラ服を着ている私が駅で呆然と立っている。

父親とある駅で待ち合わせをしていた。父の車が駅前に見当たらないので、歩いて数分かかる離れた公衆電話から父の車に電話した。当時はまだ携帯が普及していなかった。

すると父は、駅前は車止められないから桜田通りを北にこいと言う。
そのタイミングに限って周囲には誰もいない。初めて降りた駅だから、桜田通りと言われてもわからないよ。駅を背にして右?左?と聞くと、

バッカモーン!
そんなこともわからないのかっ!
このバカが!と罵倒の連続。
早くしろ!何やってるんだ!
コレでもかと言うほど怒鳴り散らした。

どこにいるの?
と聞いても、いかに私がバカなのかを怒鳴り散らしている。

もう小銭ないから電話切れちゃうよ。早くどこにいるのか教えて。
だ・か・ら!お前はバカだって言っているんだ!と耳に受話器を当てていられないほどの声で怒鳴り散らした。その間、父から道順の説明は一切なかった。

散々の罵倒の末、一方的に電話は切れた。
父はいつもこうだ。

一体、私が何をしたのか?
父の居場所を知りたかっただけだ。

初めて降りた駅で車も乗らない高校生の私には桜田通も北がどっちかもわからなかった。
当時はGoogle Mapもない。人が通りかからなかったら人に聞くこともできない。
駅に公衆電話がなかったから、駅に戻るのは時間がかかる。  


私はその日、父と出かけることを楽しみにしていた。しかし、もうどうでも良い。

怒りと悲しみが同時に入り乱れて、涙がでてきた。なぜ罵倒する前に道順を説明してくれないのか?
そんな簡単なことを娘に教える心すらないのか?

気がつけば1人、駅に長いこと私は佇んでいた。


そう、この時の感覚と同じ。
理由を教えてもらえず、怒鳴り散らされる。
このやるせない、いき場のない感情。

そうのまま10代の自分と今の自分との間を行き来して、いつしか私は眠りに落ちた。

– つづく –
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